前作は
ラプソディ・イン・ブルーバード・第二話初めは
ラプソディ・イン・ブルーバード・第一話 千早は安全ピンでドレスの垂みを直し、鏡の前で再調整した。
大勢の人間が、千早に好奇の目を向けてくることはわかったが――次第にどうでもよくなってきた。
あいかわらず胸がペッタンコだ――と思われても、受け流す余裕も千早にはある。
たった一人が、自分がどんなことになっても、絶対に愛してくれるという確信が、千早はある。
だから、通販でいい加減に買った、サイズの合わないパーティドレスを着て出かけても、大事ではないと思えたのだ。
行き先は水瀬邸。
765プロを8ヶ月前に退社した、アイドル水瀬伊織の自宅で開かれる、パーティに参加するためだった。
千早は自分の恋人との約束、旧友との交流を復活させるために、行動を起していたのである。
メールで近況を尋ねると、伊織は千早をパーティに招いたのだった。
自宅で、水瀬商事の飲料部門のブランド、《WEABOO》の記念パーティに招待されたのである。
大学生の伊織は、現在、水瀬商事で働きながらも、再来月にはロンドンの大学に留学する予定となっていた。
伊織は自分の元プロデューサーと、食品ブランド《WEABOO》を立ちあげ、売り込みに余念がなかった。
パーティは水瀬家の2階建て社交用専用建築物で、行なわれることになっていた。
全体がロココ調に作られた建物は、聖堂のようにも見えたのを、千早は思い出す。
直に日が沈もうとしていたときに、千早はタクシーで水瀬家の正門前で降り、インターフォンを鳴らすと、懐かしい人物が出迎えをはたした。
水瀬家の執事の新堂が、恭しくも千早を向い入れ、パーティ会場に通された。
会場ではすでに、オシャレに着飾った若い男女が、優雅にお酒を嗜んでいた。
いかにもクラシック音楽が似合いそうな建物だったが、パーティ用のLEDなどの電飾が至る所に飾られ、音楽もハウス系が流れており、若者中心の催しであることが千早にはわかった。
一階にはビリアード台、ダーツやバーカウンターがあるパブ風になっており、二階が小さなコンサートホールになっていることを、千早は知っていた。
千早は、青春を謳歌する若者達の間をうつむき加減で、足早に歩く。
直に21歳になるという千早であったが、明け透けに若さを楽しもうとする人間達に距離を覚えていたのだ。
人種も違うし、その無邪気さは自分にはもうないようにしか思えない。
2階に上がった途端に、千早は伊織と出会った。
伊織は手足がすらりと伸び、すっかり女性らしい体型となっていた、
「千早!! 会いたかったわ!」
銀のパーティドレスを着た伊織が、大きな声を挙げた。そして飲み物を給仕に預けてすぐに、両手を広げて千早に飛びついていく。
千早は一瞬たじろいだが、強く伊織を抱きしめる。
周囲の「伝説のアイドルが、旧友との再会を喜ぶ」という期待に屈した形だった。
「お久しぶりだわ。水瀬さんもお代わりなく――」
いや、違った。伊織はずいぶんとグラマラスになっていた。
恐らくは85から86……パットじゃないことが千早にはよくわかった。
くっ……千早の刹那の殺気に、伊織は困惑するが、すぐに案内に移る。
「本当によかったわ、千早に会えて。そろそろ留学やら新製品キャンペーンやらで、バタバタしそうだったから」
「会うまでもったいぶって、本当にごめんなさい。彼から色々聴いてるわよね」
「ええ! ……しかし随分ガタガタなドレスね。サイズも微妙だし。通販で5980円くらいの感じの」
「当たりよ! さ、さすがは商売人ね!」
「ありがとう。ドレスは死ぬほど持っているでしょう? どうしたのよ」
「……ええ。日本に帰った時に収納ケースに突っ込んだままだから。彼が防虫剤を入れてくれたような……そうじゃないような」
「ハハハ、怖くて確かめられないのね。プラダのドレスなんかが、本当に『箪笥の肥やし』になってるのね」
千早は伊織がまるで仰天していないので、自分の怠惰な状況がそれなりに正確に伝わっているのがわかり、ホッとした。
千早はふと気がつくと、2人は狭い螺旋階段を登っていた。
伊織は千早の手を優しく引いていう。
「取り囲まれるのは嫌でしょう? 真のVIPルームに案内するわ。ここは水瀬家の人間だけが使う場所なの。パーティーの最中に、株取引したり、休んだするためのね」
二階層まで上がった先に、四畳半サイズの部屋があった。
伊織がカードキーで扉を開く。ソファ、パソコン付きデスク、冷蔵庫があった。
扉を閉め、伊織が部屋のスイッチを押すと、たちまち防音に変わる。
伊織は冷蔵庫から、真っ赤なアルミボトルを取り出す。
「中身はラムネよ」
そのアルミボトルには、アニメ風な美少女が書かれ、「ニンジャ」とカタカナ表記されたロゴがあった。
千早が飲むと、確かにラムネの味だった。
伊織はボトルを眺める千早にニッコリ微笑んでいう。
「わたしと彼が世界で売り込んでいる製品なの。ジャパンカルチャーを押し出したブランドなのよ。『アニメの中であのキャラクター達が飲んでいた味が味わえます』ってね! 日本しかないジュース、ラムネ、メロンソーダ、サイダーなんかがあるの。もうニューヨークとパリ、台湾で売り始めていて、売り上げは上々なのよ!」
「ふ~ん。売れるでしょうね。海外のアーティストは、呆れるほど日本のアニメを見ているもの」
「そうなのよ! わたしの彼が発案して、ここまで来たけど、大きな事業として展開できる自信もあるの! ちなみに今日のパーティの客は、日本人でありながら、海外から大きなアクセスを受けている、英文でブログを書いている人気ブロガーさん達なのよ!」
「ふうん。でも……ひとつ気になったことがあるわ」
「何? 千早の助言、是非欲しいわ」
「彼って、あの海外旅行よく一緒にしていたプロデューサーさんよね?」
千早の言葉に、伊織はムッとしながらも赤くなる。
「気になるってそこ? ――も、もう。答えはイエスよ。今は婚約中――来年には結婚するわ」
「え!? そうなの? わたしの他に『婚約』しているアイドルがいたのが、ビックリだわ……」
目を丸くする千早に、伊織は呆れた顔をして見せる。
「それはあんたが引きこもってたからでしょ? わたしはみんなの状況を、逐一チェックしてるもの」
「お、おっしゃる通りだわ。えっとおめでとうございます! よね」
「ありがとう! 千早も近いのよね。お互い、仕事で付き合った人間と結婚って、パッとしないわよね? でもわたしは最高に幸せだわ。彼がプロデューサー業より、『水瀬家の人間として生きる』って決断してくれたことが、ランクAになった時より嬉しかったの! にひひ♪」
そういって眼を輝かせる伊織が、千早にはとても愛らしく、美しく映った。
伊織も幸せそうだったが、旦那さんも幸せだろうな、と千早は想像する。
千早はいずれは自分も、彼に凄く幸せだと思ってもらえるようになろうと、決心する。
伊織はまだ恋愛の甘美な喜びを口にしそうだった――が、不意にハッし、表情を引き締めて、携帯電話を手にする。
「雪歩、千早は準備OKよ!」
千早が雪歩の名前に唖然としていると、突如、視界の下部で複数のライトが灯る。
同時に伊織が防音のスイッチを切る。
すると伊織・千早のいる部屋の斜め右下にあるステージの緞帳があがり、萩原雪歩が姿を見せた。
引き締められた22歳の肢体は、どこか清楚な顔貌と見事なコントラスを形成し、蠱惑的な妖艶さを醸し出していた。
肌の露出の多い衣装を着て、メイクもバッチリと施した雪歩が、マイクを口に近づける。
雪歩は挑戦的な目つきで、高く激しいシャウトを放つ。
サプライズな仕掛けに、ホールのパーティー参加者達が、激しく熱狂的な歓声を挙げ始める。
うおおおおぉぉ~!!
ブレも遊びもないパフォーマンスに、本気のどよめきが起こる。
千早にしても、雪歩がアップを済ませ、完璧な調整を経て、あそこにいるのがわかった。
雪歩は新曲「アシッドLove」を、観るものに叩きつけるように、扇情的に見舞う。
見えないパートナーを相手に、熱情的に足を絡め、腰をエロチックに振るう仕草を、雪歩はしてみせた。
情感をねじ伏せそうなステージを、目の当たりにした全員が――これがランクSなのだと、思い知る。
最上の才能と希有な幸運、さらに命がけの鍛錬をして到達できる境地に、今雪歩がいるのだと皆が納得する。
ホストである伊織でさえも、ため息をつく。
「雪歩……凄まじいアイドルになったわね。どれほどのものを犠牲にしてきたのか……想像するだけで、嫌になるほどに」
千早も驚いた。
千早の知る雪歩は、生来の引っ込み思案で、アイドルとして、二歩も三歩も遅れを取る少女だったのだ。
だが今、目の前にいる雪歩は、飢狼のような貪欲さを持ち、虎のように圧倒的な力を持っているかのようだった。
千早が世界中で目にしてきた、典型的なティーンが支持する歌姫に分類できた。
3曲歌うと、雪歩が深々と頭を下げ、緞帳が降りる。
ショーに贈られる賛辞と拍手は、会場全員、76人から発したとは思えないほど、苛烈で濃厚なものであった。
「驚いたわ。さすがランクSね。水瀬さんは、今でも萩原さんとお付き合いがあるのね」
千早が感心したような顔をすると、伊織は否定するかのように肩をすくめる。
「いいえ。雪歩は別。わたしがいくら765プロを出たとはいえ、961プロの人間と仲良くするなんてないわ。わたしがやよいにだけ、『千早が今日来る』っていったの。そしたら、どういうわけか雪歩の方から連絡があり、『今日のパーティで唄わせて欲しい』って云いだしたのよ!」
「え? どういうこと、なのかしら?」
千早も動揺していると、部屋がノックされる。
開くとステージを終えたばかりの、衣装姿の雪歩がそこにいた。
雪歩はステージ上の時と同様、燃えるような眼差しをもって千早を見た。
「千早ちゃん! まずは新曲プロデュースの成功おめでとう!」
「え、ええ、萩原さん、ありがとうございます。あ、あの今、拝見しましたけど、凄いステージでした。圧倒されました」
すると刹那、雪歩は憎悪をたぎらせたような目を千早にしてみせる。
「……そんな、3年前の千早ちゃんなんかに比べたら、まだまだだよ。でもね、あの最高潮だった千早ちゃんに、勝てないまでも、負けない努力をわたしは続けているよ!」
「わ、わたしは、自分がどうだったか、憶えていないから……」
突然雪歩は千早の手を取り、ギュッと握る。
「千早ちゃん、わたし、待っているわ。アイドルとしての復帰を!! わたし、そのために頑張ってきたんだもん! 世界最強のアイドル、如月千早を倒すために、961プロに移って、プロデューサーさんを、高木社長を裏切って、頑張ってきたんだよ!」
「は、萩原さん!?」
不意に雪歩の怒ったように膨らませた瞳に、涙が浮かぶ。
「千早ちゃんが765プロを震撼させて、示した理想は確かに正しかった。だから認めて、わたしは自分のやり方で千早ちゃんを越えるって決めたんだもん!! だからお願い! わたしと闘って!!」
そういうと、雪歩は現われたときと同じスピードで去っていった。
千早は、何を雪歩に云われたのかわからず、完全に惚けてしまう。
どうして雪歩に挑戦状を送られるのか、心当たりがまるでなかったのだ。
伊織は千早の横に立ち、しみじみとした声を発する。
「そうか……雪歩が961に行った理由はそういうことだったのね」
「わかるの? 水瀬さん」
「うん……あんたは日本にいなかったからわからなかったでしょうけど、あんたの頑張りは、765プロアイドルの起爆剤になり、大きな活動の原動力となったの。アイドル同士、互いをライバルと見なすようになり、仲の良かったわたし達も、ちょっと距離が空いたのよね」
「そんなことが……」
「そういう少しギスギスした空気を、一番嫌ったのが雪歩だったわ。だから誰かの誕生日になると、率先して集まろうって言いはったの。765プロの絆を昔のようにしたがっていたわ。でも……あんたがビルボードの14位を取ってから、雪歩も態度を変えたわ。レッスンにのめり込み、引っ込み思案を返上して、強い積極性を見せるようになったの。961プロに移ったのもその一環ね」
「ああ……」
千早には雪歩の真情が、ある程度理解できた。
自分の巻き起こした熱気の煽りで、雪歩の人生を多少なりとも翻弄したことになってしまったのだ、と。
ランクアップに仲間が血眼になった765プロで、雪歩は迷ったあげく、闘う道を選んだのだ。
千早はすまないと心の中で思った。
今の今まで知らなかったが、自分の生み出した影響の大きさに、びっくりさせられたのだ。
また千早はもう一つ、雪歩に謝らなくてはならないことができたのもわかった。
雪歩がどうであろうと、もう自分がアイドルとして闘えないことが確信できたのだ。
彼に美味しい料理を作ってあげる以上の情熱をもって、唄い踊ることは、もう千早には考えられなくなっていた。


